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『天上界メッセージ集(IV)』
(2003年3月1日 初版発行)抜粋

“天の栄光と衰退を告げる時―更なる未来の天の国、天の国の到来は有るか―”

天上語にて ミカエル大王

過度なる背徳の果てに、行くべき道を見失いし人類は
天を求めて寄り来たりしに、天はその扉を閉ざし居たり。
狼の遠吠えを背に再び道を求めて、逃げ惑う人々。
悦楽の時には、人々は魂の救済を求めず、
没落の兆しを見る時、狂気の如く神を求める。
天は嘗て栄光の翼を広げ、人類の救いを約した。
その天が人類の裏切りと共に高位の霊を多く失い、
悲劇の予兆と共に、今、見えぬ未来を描こうとして、
この星の運命を算える。人は多く生まれ、死すとも
神は只一人。その死は人類の死なり。人は神を知らず、魔の手に導かれて
この星の生命を死の淵に追いやった。誰がこの星を救い、善なる人々を救わんか。
神は宇宙に向かい、手を上げて祈る。「誰ぞこの星とそれに住める人を救わんか。
誰ぞ心素直なる生物を滅びより遠ざけ、善なる者と共に彼方へ、
この星の彼方、平和と安寧に住む、
異なる星の人と共に永遠の生命を得させんか。」
宇宙は何も語ろうとせぬ。只、滅びの兆しはこの星に刻々と迫り、
彼の南の大陸の運命を匂わせる。学者らは集わず、
科学者は己の栄誉のみを夢見て、星の不吉なる予兆を心にも留めぬ。
星は嘆きつつその不吉なる死を兆している―。
神は失なえる救世主に次ぐ新しき救い主を愚かなる人類に送り、
彼等は又もや救いを拒み、この星と共に救世の人を殺さんとして、
人類の愚かは、総てを滅ぼしても尚、己の滅びにも気付かぬ。
更なる未来の天の国は有るか―。その到来は有るか―。

(2003年2月5日  口述筆記 千乃裕子)


「第一章−天上界メッセージ」より
 エル・ランティ(ヤハウェ、エホバ)

 今月号の千乃様の「雑ノート」はかなり厳しいトーンで貫かれておりますが、天は聖域であって、俗人の来る所ではないと言われるのは正しい。少なくとも、俗人としての心のおりを洗い、心を清めなければ、種々のサタンの誘惑や試みに動揺し、私達と共に長く天に居れなくなるでしょう。又、罪に関して、最後の審判においては、地上と天の法が定める罪を犯した者は受け入れることは出来ません。天の法は更に厳しく、その“黄金率”は変更不可能です。何故ならば、一度罪を犯した者は必ず同じ罪を犯し、良心の痛みや責めを感じなくなるや再び同じ罪をと、際限もなく繰り返す傾向があるからです。人を裏切る者は何度でも裏切り、人を殺す者は何度でも殺す、人を疑う者は何度でも疑い、その中には人と人との交わりにおける昇揚や美しさ、調和の素晴らしさが存在し得ない。調和や融和は宇宙の営みに不可欠のものであり、それなくしては大宇宙の均衡は保てません。総てを包含するのが大宇宙の姿であると唯物論者は考えるかも知れませんが、大宇宙は物質の自然な成長と推移の法則に支配され、何一つ無駄な物は存在しておりません。もし星や星団が互いに衝突を繰り返し、常に重力的なバランスが崩れるならば、必ずそれは新しい形に変わり、調和し、バランスの取れた状態に戻るのです。調和し、融和せぬ、常に衝突を繰り返すものはそのうちに姿を消し、安定した世界が表れます。銀河系や星団の中の星の位置や形は、長い時の流れに変容しても、いずれ互いに均衡が取れ、安定したものに変るのです。
 人の関わり合いも同じ。余りにも安定を恐れ、調和を嫌う者は自ら消えて行く(去る)者でしかありません。それが判らぬようでは到底天と意識を分かつ者にはなり得ないでしょう。...それでも千乃様を見下し、裁く人が居るのであれば、それは自ら天を拒否し、自ら滅びたいと考える人であると思います。その人に天が尚も手を差し伸べると思うのは余りにも傲慢であると言わねばなりません。
 S波の形状的に特殊な性質上、電磁波の一種でありながら有機質、無機質を問わず、何処にでも入り込み、帯電過剰になれば、あるいは電圧が高まれば(継続して攻撃し、かつ増幅すれば)放電を始めます。余りに強い電圧が掛かると、攻撃が集中する所から放電します。それが千乃様にも現われているに過ぎない。それを人は非難し、唾を吐き掛けるのです。余りにもエゴイストであると言わざるを得ません。もう少し、キャラバン隊員やボランティアの心眼が開かれ、天の意識へと高揚しなければ、千乃様と正法を支える聖護隊とはお世辞にも言えないのです。・・・・・・・人類の幸福と安全が最大限に脅かされている現在、人類自らの手で戦いを勝ち抜かねば、敗者はマルクス・レーニン主義の前には只滅びるのみです。そして天は、自らの手で滅亡を招くならば、地球人類から去るしかありません。
 旧ソ連に見る如く、一旦この国を共産主義者に明け渡してしまえば、二度と失った自由を取り戻すことは出来ないのです。今だからお話ししますが、その瀬戸際であるからこそ、私達天はまだ悪魔の思想に侵食され尽くしていないこの国へ来たのです。

(1996年5月24日 口述筆記千乃裕子)



ラファエル大王補佐
 ...何よりも失われた道徳の規範を取り戻さねばなりせん。暴走する日本社会の混乱に、国民一人一人の自覚と是正する努力を呼び掛ける必要が今こそ必要です。今のままではいつ暴徒と化すかも判らない、無自覚な人々にモラルスタンダードを与え、正しい方向を示す必要が急務です。
 只、規範や指示は如何に正しいものであろうとも、それが“愛”の介在なくしては、乾いた人の心に響かず感銘も与えない。動物でさえ、愛情が無ければ躾ける事さえ出来ず、ましてや飼い主の指示を正しく捉え、従わせることは出来ません。
 今あなた方の主張や論争を目にして、現在の日本に欠けるものは“愛”と“情”すなわち“情け”であることに気付きました。
 友愛や博愛、人間愛は“エロス”よりも昇華された高等感情であり、精神の美しさの表明です。それをあなた方は、神道や仏教に表立って表現されておらず、強調されていないので、人間の精神活動で最も高貴なる働き、他者に注ぐ太陽の如き無償の愛−友愛、博愛、自己犠牲の愛について、改めて考え、実行したことが無いのです。従って現在の日本の社会には、只々肉欲のみを求める“エロス”−昇華されない低俗な本能のみの男女の愛を云々する動きしかありません。そこには何ら精神の高揚も無く、高貴なる光も存在しません。
 その為には己を捨てて他者を救う愛、自己の生命を捨てて友を救う自己犠牲の愛が謳われねばなりません。“人、友の為にその生命を捨つる。これより大いなる愛は無し。”イエス・キリストの教え−“十字架上の死が人類の罪を贖うもの”として呈示される、キリスト教の根本義はそれであり、これなくして“神の愛”神の如き人の愛は理解されず、天に通ずる道は開かれないのです。
 あなた方が天を求め、救われることを求めるならば、現在の日本に欠ける愛の心。人を救う為に差し伸べる人間愛、人類愛の心を学び、自らのものとし、智恵を以て、実行しなければならないのです。
 そのような愛があれば、自然界の苦難を理解し、救うことも、日本の国としての混乱やモラルの崩壊も是正出来ます。只、人の中にはそれを喜ばず、むしろ悪魔の快楽の続行を望む人々も居るでしょう。日本が“ソドムとゴモラ”の如き、堕落の一途を辿る方を選ぶ、悪魔の弟子も居るでしょう。
 であれば、天の国へ来る事のみを望む人々が、天の求める生き方を貫けば良いのです。例え一人でも二人でも、天の意に叶う生き方をすれば良いのです。レイナ・エル大天使長がその人物−その人を救うでしょう。正しき心、清き心、愛に於いて自己犠牲の心を持つ人は必ず、レイナ・エル様に通じます。この方ほど聖と俗に目敏く、心の美しさや純真さに覚い方は居られない。この方ほど天の救いを待つ小さな生物や神の子供の居場所をすぐ見付け出される能力の有る方は居られないのです。
 ・・・・・・・自己の存在をアピールする為に、千万言を費やしたとしても、友の為に生命を賭けて盾となる。友を救うその行為に勝るものは有りません!去る大東亜戦争においても、武士道に殉じて、皇軍の兵士達が生命を捨てて、国体と天皇陛下と日本国民の為に戦い抜きました。その尊い犠牲を地に貶めてあなた方日本人は恥ずかしくないのですか?
 悪魔の弟子、左翼ゲリラ“ストーカー”がこのメッセージ筆記を妨害し、千乃様が書けないようにしておりますが、彼等は天に刃向かい、あらゆる妨害をし、あまつさえ千乃様暗殺を行ったという理由で真先に地獄に落とされるべき人物です。

(2001年2月27日 口述筆記千乃裕子)」