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エルアール出版
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「天の奇蹟(上・中・下巻)」の紹介


上巻

中巻

下巻
 本書は西洋文明の淵源として、今世界に有形無形の影響を与え続けて来たバイブルが、如何にして成立したかに、歴史・考古学的考証を与えると共に、各所に記されている奇蹟現象は、はたして何であり、どのようにしてなされたものであるかを、直接に関与された神ヤハウェ=ヤーウェ=エホバ、当時聖霊あるいは大天使と呼ばれてきた方々の証言を得つつ、これに物理化学的な解明を与え、聖書の奇蹟や予言の真相を明らかにして識者に問う問題作です。また、これによって編著者の下に現われた高次元の霊が、聖書に記述された神、あるいは大天使と崇められてきた方々と同一であることが、疑問の余地なく論証され、第一から第四巻に至る天国シリーズに紹介される神々の啓示と法の信憑性を高め、末法とそれを救う人類の努力への再認識と自覚を促すものとなることが、立証されています。

『天の奇蹟(下巻)』本文の抜粋
「『第八章“人の子”イエスの訪れ』
 ・・・・・・・実はサタン・ダビデの介入はこれのみに止まらず、イエス様の誕生から十字架上の死と復活まで、壮大なドラマ、ステージのセッティングの大わくは、サタン・ダビデの提案でなされた。当時の大天使方の出きることはただ、エル・ランティー様の召命に応えて、イエス様の守護と、イエス様の苦しみを最小限に抑えることだけであった。「サタン・ダビデは、かのダビデ王を自分と同名にし、自分の理想像として育て総てを指導し、その末裔をイエス・キリストとして自分の分身による国王を望んだのです」―。
 という内容なのです。これは驚くべきことと言わねばなりません。この深刻な事実は、一部を除き、『天国の証』では発表を控えておられたそうです。まだ当時は、あまりに奇異に受け取られてしまうことを恐れたからです。
 これで思い出されるのは、一九八五年「JI」誌12月号ガブリエル様のメッセージで、「(イエス様の)悲劇は天の父エホバ様の弟であり、サタン・ダビデと化した者が巧みにエホバ様を説得し、計画した壮大なドラマに過ぎず、つぶらな瞳の小さな羊や山羊や小鳩を、無意味な供物や燔祭として殺し、その血を流して肉体を持たぬ神に捧げると同じ結果しか齎しませんでした。...“汝殺すなかれ”と戒められた天の父が犠牲を供物として殺し、血を流すのを聖なる儀式とされるのは、正常な解釈では矛盾しているのです。慈愛に満ちた神が何故イエス様の殺人を黙認なさったか。血生臭い礼拝を喜ばれるとされたのは何故か?そこに私達の証した天の悲劇―天王エホバの最も近き所にサタン・ダビデが居り、しかも天王を自らの意に従わしめていたことが証明されるのです。私達が如何に天王に逆らえましょう...」とあります。
 筆者は奇蹟について、あまりに大がかりで、はでに見えるドラマティックなものは人為的すぎる。つまり、自然ではない。それゆえ、真の天上界から出したものではないに違いない。サタンの業の可能性がある。と考え、この書でも一部にそう書きましたが、イエス様の生涯については、大わくは神の介入されたものとの先入観が残っており、サタン・ダビデの舞台設定とは断定できませんでした。だが今、真実が明かされたとき、........」

「...イエス様とその弟子達を正法流布の松明とし、正しい教えを常識とするまで広め、世界を浄化し、最終的には正しい教えを基盤とするユートピア実現へと望む計画は、天王であったエル・ランティ様のご意志であったのに、それを悪用し、この計画に献身した偉人達の霊を暗殺し、はたまた奇蹟をわが手中にし、やがてはサタン・ダビデが自分の王国を作る計画へとすりかえようとしていたのだとは!!
 もはや語るに言葉なく、天の奇蹟は暗色に彩られてしまいました。...

 ..天上界はサタンの再三再四の妨害工作をさけるべくイエスを危険より遠ざけた。しかし頑迷な祭司、律法学者、軽薄な大衆たちの迫害、それにサタンの執拗な陰謀の手は伸び、彼らはイエスを補え残酷な十字架の刑に処した。天上界はこのとき、張り裂けんばかりの気持ちを込めて、イエスにエネルギーを注いで苦痛を和らげると共に、肉体の完全な死をも防ぎ通した。それが「復活」と言う大奇蹟となって弟子達を奮い立たせることになる。...」