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エルアール出版
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「天の奇蹟(上・中・下巻)」の紹介


上巻

中巻

下巻
 本書は西洋文明の淵源として、今世界に有形無形の影響を与え続けて来たバイブルが、如何にして成立したかに、歴史・考古学的考証を与えると共に、各所に記されている奇蹟現象は、はたして何であり、どのようにしてなされたものであるかを、直接に関与された神ヤハウェ=ヤーウェ=エホバ、当時聖霊あるいは大天使と呼ばれてきた方々の証言を得つつ、これに物理化学的な解明を与え、聖書の奇蹟や予言の真相を明らかにして識者に問う問題作です。また、これによって編著者の下に現われた高次元の霊が、聖書に記述された神、あるいは大天使と崇められてきた方々と同一であることが、疑問の余地なく論証され、第一から第四巻に至る天国シリーズに紹介される神々の啓示と法の信憑性を高め、末法とそれを救う人類の努力への再認識と自覚を促すものとなることが、立証されています。

『天の奇蹟(中巻)』本文の抜粋

〜「第五章 モーセの出現」より〜

「『十戒』
 ...もし奇蹟というものを、人の真の救いと導きのために、天より人に与えられた恩恵である、という深い意味に取るならば、天から人の生きるべき指針として十戒が与えられた事実こそ、奇蹟の中の奇蹟と申せましょう。天の奇蹟はそれ自体が目的ではなく、正しく人を導くための手段です。十戒も同じであり、それを人が守ることによって、人間性の向上となり、ひいては地上にユートピアを築くための準備となるものなのです。
 逆にサタンによるまやかしの奇跡が存在します。それは人間を堕落へと誘う囮であり、世を暗黒へと向かわせる媚薬です。
 なぜ十戒が人に与えられて、真実の神のみを神とし、偶像を拝んではならず、己の欲望のためにみだりに神を呼んではならず、安息日を設けて神に心を向けることを要請されたのでしょうか。それはひとえに、人が光の道を歩み、サタンの道へ向かわないための、神の人類に対する深い配慮であったのです。
 それゆえまず、一〜四戒で人の神に対する義務が示されます。五〜十戒までは、それまでの戒が守られれば、自然に守られるべきもので、人の人に対する義務を示しております。
 イエス様が「律法の中でどの戒めが一番大事か」と問われたのに対し、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と、「自分を愛するように、隣人を愛せよ」という旧約の聖句を引用したのは、上記の十戒の内容を的確に言い示したものです。そして神と人への思いやり=アガペーの愛こそは、律法の精神であることを示したものです。
 十戒の伝達自体もまた、神の人類に対する愛の発露に他なりません。
 純粋な愛のみが天の奇蹟の源泉であり、それ以外から出る奇跡はサタンのそれであることを知り、かつ行為することが、十戒という正法の精神に生きることではないでしょうか。」

 「『聖書に現れる“消滅”と“合体”とは』 千乃裕子
 「=天国シリーズ第一巻〜第三巻にしばしば現れる“消滅”は“第二の死”と聖書で表現=
 それから、死も黄泉も
   火の池に投げ込まれた。
 この火の池が第二の死である。
 このいのちの書に名がしるされていない者は
   みな、火の池に投げ込まれた。
      (ヨハネ黙示録第二十章十四節)
 しかし、おくびょうな者、信じない者、
 忌むべき者、
 人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、
 偶像を拝む者、すべて偽りを言う者は、
 火と硫黄の燃えている池が、
   彼らの受くべき報いである。
   これが第二の死である。
      (ヨハネ黙示録第二十一章八節)   

=第四巻(上)第三章にも記載されている“合体”は次のように表現されています=
「第三章 同じようにして霊もその魂に会いに来て言った。
『...わたしは地上にいて、きみの中に住んでいたとき、きみの中に元気を取りもどす場所を見出すことができたからだ』
「第四章 霊も同じように言った。『わたしは...あなたの判断に従ってそれの中に住んでいたとき、そこで元気をとりもどす場所を見出していたからです』

(新約聖書外典パウロの黙示録第十四章より)

(死者の魂を天使が神とミカエルや他の天使の群れの居る場所へ連れていき、その天使が魂と神に向かって言った言葉−合体を証明するもの)」